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Last Update |
| 2010/01/29 | ||
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| 下関市内の全神社仏閣 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| いわゆるお寺やお宮は神社仏閣としてひとからげにまとめて語られることが多いですが、歴史的に見ても、宗教的にもても両者は重要な位置にあり、あるときは対立するものとして、あるときは融合するものとして存在してきました。 江戸時代には「寺請制度」によって人々はいずれかの寺院を菩提寺としその檀家になることが義務づけられたことにより、仏教の教団としての活動の多くの部分が低下してしまいましたが、反面檀家の法要などで得られる収入により寺院を安定して維持できる環境になったわけです。 さらに、古くから仏と神を同一視する考えや神も仏の救済を求めるという考えが広まり、結果的に神社の傍らにはお寺が建てられ神宮寺となり、僧侶が神官を兼ねることもありました。 このため同一敷地内や隣接地に神社と寺院が並んで建っている場合も多くあります。 山口県の場合には、特に西部は狗留孫山の修禅寺や華山の神上寺の影響が大きく真言宗や天台宗の密教系寺院が多く建てられましたが、江戸時代の毛利氏による真宗保護政策により多くが浄土真宗の寺院に衣替えしてしまったようです。 長州藩は古い寺院や神社の保存修復には熱心で、藩の費用によって修復された神社仏閣も少なくありません。 このため非常に多くの寺院が残っていました。 しかし、明治以降神仏分離思想が広まり、また明治政府の方針から神道が尊重され、廃仏毀釈運動を経て多くの寺院が荒廃、廃寺が相次ぎました。 また神社は村や町の集落単位で「豊年満作」「商売繁盛」などの御利益をともなう氏神様として尊敬され祭られてきました。 そうして神社は無人の小さな祠でも祭のために維持されてきましたが、寺院は無住になるとよほどの理由が無い限り朽ち果てて無くなってしまいました。 ここでは市内にある寺院や神社の情報を出来るだけ集めてみましたが、神社の情報が少ないことは否めません。 どなたか情報をお持ちでしたら是非お知らせください。
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